朝はたくさん散歩をした。コーヒー屋に行って、豆も買って、身体に新鮮な空気を入れては吐いて、の繰り返し。ユザーンから音が届いた。早速、デモと重ねてみた。奇抜な制作スタイルなんだけど、これもユザーンとしか出来ない制作スタイルかもしれない。午後は、happaで斉藤亮輔、石塚周太が来てサウンド・リハーサル。NHKよるドラのギターフレーズの確認。大半はソロで制作しているが、チームやフィルでの編成の楽曲もある。一番良かった感じはやっぱり友達と会えることだ。それしかない。それに音楽がついてきた、って感じの一日だった。
2/20 2021
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2021.02.20
2/19 2021
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2021.02.19
「窓」に関する原稿を書いていた。3000字程度。自分の活動や制作において、自然と「窓」という言葉や物質は大切なものだったなぁ、と寄稿依頼をいただいて気付く。夜はNHKのドラムの音楽ミーティングを。全曲の流れを通して、意見交換。劇伴音楽、勉強になることが非常に多い。
2/18 2021
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2021.02.18
僕の部屋には大きな窓があって、いつもその窓からの景色を眺めながら制作している。午前中は、いつの間にか当たり前に存在している物をテーマに寄稿文を書いていてそれをまとめる作業をしていた。
最近の朝は、武満徹の管弦楽を毎日聴いている。武満さんのオーケストレーションを聴き込むのは珍しい。この1週間くらいはルーティンになっている。季節の変化も影響あるのかな。今日も同じように、音を作っている以外は武満オケの音楽をかけていた。
お昼過ぎは、渋谷にいき、文化村オーチャードホールへ。4/23の蓮沼フィル公演『○→○』の現場下見へ。制作、映像、舞台美術、広報が集まって、会場を隈なく見てきた。本当に変わったことをやりたくて、オーチャードホールのスタッフから「自由ですね〜」と言われてしまった。オーチャードの現場スタッフからの褒め言葉として受け取って、下見後にもミーティングを。こうやってコンサートという作品が出来上がっていく。こういう作業はパフォーマンスのライブ性から派生する作品ではなく、一過性ではあるものの、総合的な視点での作品作りだと思ってやっている。と言っても、自主イベントも10年以上主催をやってきていて、経験値も増していくが、常に数字は気にしないで、仲間と一緒に考えて公演という形にしていくこと。僕のようにインディペンデントに活動している身にとっては、こういう環境から生まれるアイデアはとてつもなく強くて、今後の糧にもなる。今日もそういうシーンがいくつもあった。これは『○→○』は見たことない、感じたことない音楽体験になるだろうな、と確信した。今日のような何でもない下見が、実は自分たちにとって新しい手法を身につけている準備体操だったりするもんだ。この4月のコンサートは本当に楽しみでならない。この2年くらいのアイデアが爆発するだろう。このチームでチャレンジ出来ることはとても嬉しいし、刺激的だ。新しいことがはじまる。
2/17 2021
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2021.02.17
今月からずっと制作しているドラマの撮影現場にお邪魔した。撮影場所は東京の郊外。電車で1時間ほどのところ。実は10年ぶりに下りたった駅からロケバスに乗って、撮影現場へ。朴訥とした川縁の場所だったけど、エキストラキャストも多い中、じっくりと収録していた。いつも感じるけど、音楽は違う現場で作られるわけだけど、こうして撮影の現場に訪れることで、自分で作っていた世界観だけではなく、作品の中でも違う雰囲気が存在することを確認できる。その空気は音楽にも影響を与えていると思う。
夕方にスタジオに戻ってきて、違うプロジェクトの音楽の手直しを。ちょうど1ヶ月前から手をつけてなかったけど、少し時間を置くことで前の音楽を壊して、新たに組み立てていく気持ちが芽生えてきてしまった。まだまだ荒いけど、アプローチとしては良い感触。
2/16 2021
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2021.02.16
魂が抜けたように、ふわふわとした感じで1日をすごした。でも、こうやって主体が自分の体ではなく、心ここにあらず、みたいな状態は嫌いではない。作業には気持ちが入らないんだけど、どこか普段とは違う窓が開いていく感じがする。
夕方はドラマの劇伴ミーティングをする。昨日にラフスケッチ音源を多数送ったので、そのニュアンスなどをお話ししたりした。このプロジェクトは制作していてとても楽しい。これはプロジェクトの刺激も当然あるが、それらを支える人々のパーソナリティとその行動がとても心地よく、そのぶん僕も良い音楽を作ろう、という素直な気持ちにさせてくれる。より良いものにしていきたい。
夜はJ-WAVEラジオにリモートで出演する。アッコゴリラさんがナビゲートされている番組で、お店のBGMがテーマだった。僕はBGM制作のプロではないんだけど、空間と時間、そしてその場に訪れる人、という関係性をあらゆるシーンで考えながら作品を作ってきているんだな、と思った。それが商業施設だとか、作品がインストールされた場所、というわけもなく、シンプルにそれらの関係性で変化していく状況を作曲していた、と感じた。今はもっと違うところに関心があるけれど、こうやってメディアにピックアップしていただくことで、自分の視野とは異なる部分に日の目があたることは少し面白い。他者の視点というのはユニークだな、って思う。番組で流れていたアッコゴリラさんの新曲もとてもよかった。ラップもいいし、トラックも良い。久々に芯が太い音だ、と思いました。
2/15 2021
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2021.02.15
久しぶりの雨。そんな豪雨の中でも、楽しい会話をしてリラックスした日中をすごす。色々なことを対話することでスッキリする。何か新しいことがはじまりそうだし、さらに良くなっていく気持ちがする。集中して作業が進んだ1日だった。冬の雨なのだが、どこか春っぽい空気を感じた。季節が動いている感じがした日だった。お昼に食べたファラフェルが美味しかった。
2/14 2021
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2021.02.14
朝に1曲だけ手直しをした。その後に散歩をして、公園に行って気分転換。おそばを食べに行って、また長い散歩をしていたら、もう夕方前になっていた。こんな日もあるよね的な日だ。終日制作にスケジュールを空けていても、こうやってなだらかに時がすぎていくこともある。読書などを進める。アイデアをまとめなくてはいけなくて、断片的な思考をかき集めて固めていく作業。それらも相手に送ったりして、夜はまた外に出たりした。街には紙袋を持った人を多く見かけた。
2/13 2021
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2021.02.13
晴天の土曜日午前中。今年の3/11に行うプロジェクトについて、アイデアをずっと絞っていた。とりあえず、この2週間ほどずっと考えて抜いてきたことを記述して、なんとかまとめ上げた。まだまだラフスケッチのアイデアではある。色々と考えすぎてしまっている気がする。午後にスタッフとミーティングをして、来週から本格的に動き出しそうな気配。ただ、関わっている人が多くて、自分のペースでプロジェクトが動かせるのか、少し心配ではある。東日本大震災から10年が経つ現在は、さらに混迷を極めている状況が続いている。
お昼は池袋にある劇場あうるすぽっとにて、チェルフィッチュ『消しゴム山』を観にいった。昨晩に公演に誘ってもらって、急に行くことを決めた。良いタイミングで誘ってくれて嬉しい。おととしの蓮沼フィル野音公演『日比谷、時が奏でる』の時に、チェルフィッチュの岡田利規さんが遊びにきてくれていた。東京にきていて、まさにこの時にこの作品のクリエーションをしていたそう。(野音ゴールド・ディスクの岡田さんの寄稿文に記載されています)
公演は退屈なほど、通常の演劇とは異なる時間軸で進んでいく。余白が多いぶん、こちらも観ながら思考が膨らんでいってしまう。例えば、グレアム・ハーマンからのオブジェクト指向存在論、人新世、ティモシー・モートンの環境哲学などが当然よぎってきた。そこで思い出したのはハーマンの言葉。グレアム・ハーマンはこう言う。「OOO(オブジェクト指向存在論)が擁護する考え方にしたがえば、対象(実在的対象、虚構的対象、自然的対象、人工的対象、人間、非人間)は相互に自立的であって、前提されるのではなくむしろ説明が必要な特殊事例においてのみ関係する。この点を専門的な表現で強調して言えば、あらゆる対象は相互に退隠している。」
さらに思い出したのが、エドワード・タイラーが『原始文化』でアミニズムへの言及の際に「宗教の最小限の定義を「諸々の霊的存在への信念」とした上で、人類の精神の深層に横たわる、諸々の霊的存在についての教理をアミニズムと名付けて考察する。」と言っていた。
この2つを思い出しながら、2時間半弱の時間をかけて観ていた。オブジェクト指向存在論を主題に扱う現代の作品に対して、僕はどうしても斜めに構えてしまう癖があって、その数多くの作品を観ていても、ナイーヴなものが多すぎて中々真髄に辿りつけないものが多い。特にティモシー・モートンの思想を現前させたような作品にいたっては、その作品の主体性が人間にあることが多く、分散的にあるアイデアの要素を寄せ集めてひとつにしたニュアンスを感じる。それも主題がホットなトピックということでもあるが、実はいつまでこのような消費的な作品を続けていくのかな?という疑問も生まれるのは正直な思いでもある。今ある危機の本質をアートで表すこと自体は肯定したいが、地球は一つしかなくて全てはつながっている、という認識が薄い。作品がプレゼンテーションされてしまう既存の制度とシステムを疑う姿勢が必要になってくる。結局は外部の要素を摂取しているに過ぎない。
その中でもこの『消しゴム山』は強度があって、鋭い刀を持っている作品だと感じた。モートン的な環境思想を受け入れるだけではなく、岡田さんの思考と身体がパフォーマンス化された作品になっていた。観ていて面白かった。僕が嬉しかったのは、直接的な言葉で気候危機を訴えていたこともある。演劇の強みはやっぱり言葉と身体だと再認識した。社会へのアイロニーも日本ならではの形を作っていて、あらゆる要素と要素の「間」の取り方が絶妙だった。これはずっとチェルフィッチュを観てきてから変わらないことだけど、変わりながら変わっていないことの凄さも感じた。金氏さんの美術の効果もあるかもしれないが、本質は岡田さんの関心されている事柄と問題意識が大いに注入されたハードコアな演劇作品になっていた。
これを書いているときに、福島で震度6強の地震が起こった。東京オリンピックに関する政治的な混乱で数週間社会を振り回していながらも、自然は活きいきと動いているわけでもある。そんな中、10年前の震災から僕は、社会は何を学んでいるのかを真剣に考えて、行動するべきだ。
ミルフォード・グレイヴスもチック・コリアも亡くなってしまった。時間は経過していくものだと感じる。
楽しいことと不安なことが入り混じっているような日だけども、スカッとする作品を観れてとても嬉しい日だった。
2/12 2021
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2021.02.12
2019年10月に資生堂ギャラリーで開催された展覧会『Surface and Custom 展』のカタログを読んだ。アーティストのジェイ・チュン&キュウ・タケキ・マエダによるキュレーションの展覧会。インスタレーション・ビューの写真は少なく、論考とアーティストトークの実録が大半を占める読みものでもある。とても面白かった。ガブリエレ・シャードの寄稿も鋭く、文脈豊かに文が編まれていた。
カタログの文頭に、単純化された「物語」や「神話」が世界にシェアされる現代において、その背景に目を向けて同時に存在する複雑さに気付き、寛容していくことが試される、と資生堂ギャラリーの豊田さんがカタログで書かれていた。深く同意する。
資生堂という企業が行うギャラリーで、このような展覧会を開催して、カタログとしての記録が作られる。常々変化していく社会に対して、僕たちは新しい想像をしていかなくてはいけない。そういうきっかけを提案し続けていくことに感謝したい。
2/11 2021
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2021.02.11
朝からドラマ音楽の作業。この1週間は細かい部分を丁寧に修正していく作業の連続。煮詰まってはきているけど、トータルで聴けるくらいの感じに仕上がってきた。今日は出かけをして、たくさんの会話をした。風通しの良い対話は心地よい。
ナディッフの芦野公昭さんの訃報。ぼくは中学生の時、表参道のナディッフにずっと通っていた。よくわからないアートブックや文献を片っ端からチェックしていた。大学に入ってからアルバイトをさせてもらい、これらの経験はいまも自分の中で活きている。ありがとうございました。