蓮沼執太 | Shuta Hasunuma

夏のおわりごろ

Date

2013.09.24

9月17日(火)
大阪での公演の翌日は、インセクツへ。オオルタイチことタイチさんや、neco眠るの森さん、バイオマン、ソウルセットの川辺ヒロシさんやスチャのシンコさんが続々と集まってきた。バイオマンの有機野菜をたくさん購入。奈良のミョウガがとても美味しかった。その足で神戸へ。11月2日から始まる展覧会『音的→神戸|soundlike2』の打合せへ。これで5回くらいは今年、神戸アートビレッジセンターへ足を運んでいる。その分、今年は関西へ来る機会が多かった。最終の新幹線で東京へ。

9月18日(水)
お昼にスパイラルの地下にあるCAYにて打合せ。11月の公演の打合せでした。後日発表します。銀座へ向かって、LIXCILギャラリーで中谷宇吉郎の森羅万象帖展を観にいこうとしたら、休館日。ギャラリー小柳でjanet cardiff & george bures millerの作品を。以前、メゾンエルメスで観たぶりかな?素晴らしい佇まいでした。夜は21日からスタートするプロジェクト『アラカワアフリカ4』の打合せへ。田口行弘さんと西尾美也さんと咲子さんと展示構成のお話。

9月19日(木)
自宅でナイロビ用の作品制作を黙々と。Ensemble ModernのUwe Dieksenの作品をずっと聴く。トロンボーンをボーッと聴くのも悪くない。

9月20日(金)
アラカワアフリカの設営開始。1日で設営である。途中、フィルのアルバムアートワークの打合せで神保町へ。デザイナーはアキラックスこと、佐々木暁。アキラックスはずっとフィルを観てくれていて、僕自身の音楽の成長やフィルの深化をガシッと掴んでくれている人の1人。打合せ後はまた荒川に戻って、設営へ。田口さんペアは朝10時までかかったそう。

9月21日(土)
アラカワアフリカ4スタート。オープニングレセプションにてワークショップメンバーと作品『キベラ・エクスチェンジ』の収録とライヴを行う。50名近い来場者で会場は大盛況でした。10月11日まで展示は開催しています。

9月22日(日)
アントニオ・タブッキ『いつも手遅れ』を読みはじめる。昼は青葉台のお蕎麦屋さん「東京 土山人」へ。久しぶりに行ったけど、すだち蕎麦をそば湯で割った汁は本当に美味しい。目黒川をずっと歩いて、品川へ。2時間くらい、ゆっくり散歩してました。その足でトークイヴェント『ROOT+tamtam vol.1』へ。台北のアーティスト牛俊強(うしさん)とネット上で母国語通しで話、逐次通訳でやり取りをする、珍しい試みのトークイヴェントへ。会場は大入りで良かったですし、何しろ、とても実験的なシステムのトークだったけども、参加者のみなさんも台北とのコンタクトにかかるタイムロスを有意義に使うように、内容ともによいイヴェントになりました。モデレータの小山ひとみさんの試みはこれからも期待したいです。島貫さんとはもっと話したかったですね、いつか機会があればまた。
http://www.root-xiaoshan.com/event/20130922/index.html

9月23日(月)
なぜか朝からダーウィンの『種の起源』を粛々と読み直している。
Oneohtrix Point Never『R Plus Seven』はリッキドルームの山根さんからずっとお薦めされていて、今月のアンセムでした。毎日1回は聴いている。
Oneohtrix Point Never の 映像作品集『Memory Vague』が大好きで、ある意味で Phill Niblock の 『Movement of People Working』 に近い、音楽家(音を用いる作家)の世界観で素晴らしい。今でもよく見直す映像作品。とてもプライヴェイトで作家性と作品観がとてもインティメイトしている。そういう点では、ジョナス・メカス的なプライヴェイトな雰囲気とも映像の質感的に近しい。

「タイポグラッピィ」を生んでしまうひと

Date

2013.09.18

「タイポグラッピィ」を生んでしまうひと

そうです。彼です。大原大次郎さんです。
僕にとって彼は兄貴的存在です。単純に僕より数歳年上ということでもありますが、、、グラフィック・デザイナーという肩書きを背負いながらデザインの根源を掘って掘って掘りまくっていくと、その穴は深く、更には広く、大きいものになっている。それはデザインでもあり、デザイン以上の規模になっている場合がある。それはグラフィック・デザインという分野の外にあることでも、その根っ子を見ると実はデザインの根源を成している。(デザイン、デザインと言い過ぎましたね・・・)

よく領域横断という言葉を僕の活動において定義される事が多いのですが、それはベースとして「音楽」というものが、他ジャンルにおいて必ず存在するということです。舞台には音も音楽もあり、映画にも音も音楽がある。ファッションショーには音と音楽があり、当然ライヴの現場でも音も音楽もある。あらゆる環境下での音や音楽の穴を深く掘っていくと、それは同時に広い穴にもなっていて、大きな音楽になっている。それが偶々に領域横断のように見え、「ジャンルを超える」といった、夢みたいな宣伝文句に近い表現を与えられたりします。おそらく「ジャンルの枠を超える」という表現を持っている多くの人が描く音楽活動というものは「レコードなどの録音物を作る」と「ライヴで演奏をする」という2択しか持ち合わせていないのだろうな、と感じます。勿論、この2点は音楽家にとって非常に大切な要素であるのは間違いないし、僕も最大限の発想と行動で表現しているけれど、実際の「音楽」はもっと大きくて深く、そして広い。で、何が言いたいかというと、それは大原さんが行っている「デザイン」という手法も、考え方は近いのかなぁ、と僕は勝手に思っています。

2013年の現在、「デザイン」というスタンスは個人的にはとても疑ってしまう言葉でもある。それは「アート」という言葉も同じ意味で、こちらが構えてしまう言葉でもあります。(どちらも高校生くらいから疑ってかかっている生意気な人間ですが。)個人的には非常に否定的な意味合いももっている言葉でもある。これは戦後の日本のデザイン史や美術史などを繙いていくと更に現在の両方の意味合いには賛同出来ないことになってしまうけど、それらを拒否するのももったいない。もったいない、というか拒む事で考えれる可能性を狭め小さくすることが、自分の時間軸において惜しいと感じてしまうんです。はい。
さてさて、でもでも、まぁそんな固い考えは棚の奥の方にしまっておいて、大原さんの考え方が細かい考察と自分の置かれている距離や位置の分析、そしてご自身の経験を尊重して、持ち前の兄貴的やさしい人柄と大きな想像力に僕は本当に尊敬しているのです。

そして、本題の『タイポグラッピィ』です。
内容を説明したいですが、事前に大原兄貴から頂いた、オープニングで流すオケのナレーションをした原稿をここに転載します。以下です。

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みなさま、ようこそデザインイーストへ。
これからみなさまを、タイポグラフィとラップが織りなす、
タイポグラッピィの世界へといざないます。

デザイナーではなく、ラッパーによるタイポグラフィの
ショウケース、タイポグラッピィ。

タイポグラフィは本来、ある言葉を文字として書き、レイアウトし、
印刷や映像などのメディアを通して
情報の伝達を発達させてきた、デザインの領域です。

しかしこのタイポグラッピィでは、
タイポグラフィの核でもある、
<文字>という形を、少し疑うところから始まります。

このショウは、毎日さまざまなラッパーを招き、
彼らの言葉、発声と音声による表現を通して、
本来言葉と文字が内在している、意味や、形や、感情を発露させ、
文字にとらわれない、新たなタイポグラフィを描いていく試みです。

どうか目の前に思い思いの空間を描き、
これから繰り広げられる発声と音声によるタイポグラッピィの世界を、
思う存分にお楽しみください。

それでは、本日のゲストにご登場していただきましょう。

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上記がすべてを説明しているのですが、2013年9月14日から16日にかけて行われたDESIGNEAST04という催しの大原大次郎企画として「TypogRAPy」というショーケースがありました。毎日、ラッパーが言葉、発音、音声による表現を通し、固定概念に縛られないタイポグラフィを想起する実践です。その最終日の16日に、僕と鴨田潤さんことイルリメ、そして大原大次郎との3人組でパフォーマンスをすることになりました。

まず、「ツール」「環境」「方法」という大原さんが今回掲げた言葉のテーマを元に、鴨田さんがリリックをオーディエンスと一緒に作っていきます。大原さんの手元を(紙に文字を書いたり、ペンで書く音をアンプリファイされたりします)プロジェクションできるようにカメラが設置してあり、言葉が書かれる映像と音が出力されます。その文字が書かれる紙が楽曲のスコアになり、音はドラムのような打楽器にもなります。その音を僕の手元にあるサンプラー「MPC2000XL」に打楽器の素材としてサンプリングされ、僕はその場でリズムを組みます。その間に鴨田さんはメロディやフック(曲のサビ)を考え、僕はさらにシンセサイザーでメロディや伴奏を即興的に瞬時に作曲していきます。それがその場で演奏され、その時間と空間で作られた1曲をみんなで作りながら、僕らが演奏しながら、みんなで聴く環境が作られます。一夜にして一曲が完成します。

以上を言葉で現象を伝えると非常に複雑なプロセスのように見えます。まあ実際に複雑な方法ではあるけれど、どんな複雑なこともシンプルに伝播させ共有することが僕らの実力や技術のひとつであって、その音楽が作られる現場はみんなで楽曲を見守るようなやさしい空気で進行していきます。

文字を書く動作で音が出来上がる。その出来上がった音にも言葉が内在するし、更に言葉の意味をつけ直す事もできる。例えば、オノマトペ的な音質がそのまま音になり、その音にも言葉の意味がある、、、など、様々な要素が行ったり来たりすることで、書き言葉と読み言葉とその音とその音楽に奥行きが作られ、意味合いが立体化していく。これは鋭いコンセプトに基づいて興味深い試みであるし、デザインの手法で突き詰めているし、音楽の手法で突き詰めていることでもある。こういう行為を多くのひとは「領域横断」という名をつけてもらえるのだけど、当事者(やっている僕ら)は結果として表現の作用が(ジャンル横断的に)拡がるということも理解しつつ、只管深く個人的行為の探求をしているようでもある。つまり「ジャンル」というのは強く存在していて、越える必要も無ければ、ジャンル内で活動をすることが保守的でも革新的でもどちらでも無いということでもあります。そこで表現の方向性を計る物差しにしていること自体の批評そのものが間違っているように思えます。売り物のキャッチコピーのような価値はとっても低い、、、

あ、話が逸れましたが、これら3人の共同作業によって、あらゆる視点からも深みのある表現になることもあり、それは同時にとても各自の仕事において、とても根源的な探求でもある。そういう深みのある作業をこの3人で作れることを僕は素晴らしいことだなぁ、と感じます。こういう状況を生み出してしまう大原大次郎の凄さとイルリメさんの限りない発想力に僕も負けていられないぞ!と思うばかりです。これからも「タイポグラッピィ」をよろしくお願いします。まだまだ産声を上げたばかりです。色々な時間で、色々な場所で、色々なコンディションで、音楽を現場で作っていきたいですね。柔軟なコンポジションを。

ミュージック・トゥデイの2013年

Date

2013.09.16

今年の七夕はミュージック・トゥデイでした。ミュージック・トゥデイ?今日の音楽?
勘のよい方は、その昔、武満徹さんが企画・構成し、国外を中心とした音楽を日本に紹介してきた音楽祭の名前ではないか!と、思われるはずです。その通りで、僕はその武満さんのタイトルをカタカナ表記にし、自分なり(1983年生まれの人間)の時代感を持った、今日の音楽をプレゼンテーションする場として、このミュージック・トゥデイをスタートさせました。いわゆる自主企画というやつです。

2013年で3回の公演を行ってきました。

1回目:2011年にはアサヒ・アートスクエアにて「ミュージック・トゥデイ・アサヒ」を。
http://www.shutahasunuma.com/performance/570/

2回目:2012年にはラフォーレミュージアム原宿にて「ミュージック・トゥデイ・ラフォーレ」を。
http://www.shutahasunuma.com/performance/1505/

そして、今年は大阪・国立国際美術館にて「Music Today on Fluxus」を。
http://www.shutahasunuma.com/performance/2344/

そうです。今年は英語表記になっています。これは共演をする塩見允枝子さんが決めてくださいました。

まずは、以下の2つの公演評をお読みいただけると、公演の経緯や結果などがいろんな角度から観ることが出来ます。.fataleでは、ICC主任学芸員の畠中実さんが。realkyotoでは、今回の企画でもある国立国際美術館の橋本梓さんが寄稿してくださっています。.fataleの方では映像もご覧頂けます。

http://fatale.honeyee.com/culture/feature/2013/mtf/

http://realkyoto.jp/blog/5786/

橋本梓さんから約1年前に、常設展示でのコレクション展でフルクサスと塩見允枝子さんを扱おうと思っていて、僕と塩見さんで、何か一緒に出来ませんか?というお誘いを頂きました。僕にとってフルクサスは高校生時代から音楽を越えたパフォーマンスをしているグニャグニャしたニューヨークの前衛集団というイメージがありました。それはアートでは無く、音楽を越えた存在として、僕の中で存在していました。(この辺りの感覚は大事なスタンスな気がします)ちょうど20歳くらいに、うらわ美術館にてフルクサスの大きな展覧会があり、それまで書物の中の存在だった過去の表現たちが、展示という形で僕の前に現われた新鮮さは、今でもよく覚えています。リレーショナル・アートという系譜で今日の現代美術からフルクサスへと再考された橋本さんとは同じようで、すこし違っていました。もちろん自分の生涯において、リアルタイムでは無いのにも関わらず、フルクサスはどうも生きた感覚で僕の中に入っていました。やっぱり記録物としての音楽からもその実体を掴もうとしていた個人の軌跡が妙なリアルタイム感を風化させないんだと思ったり。

あ、話がやや逸れました。
まだ僕が今回の塩見さんとのコラボレーションにおいて、ミュージック・トゥデイをやるということは決める前に、1度塩見さんのお宅へお話に伺いました。上品な町並みの中に、上品なお宅がありました。冬も終りに近づいていて、玄関先に小さな梅の木が飾ってあり、その暖かさが第一印象として、塩見さんご自身とシンクロして柔らかいイメージを持っています。そこでは、塩見さんのピアノ作品の音源を聴かせて頂きながら、フルクサスの思想や、いまの考えなど、たくさんのことを対話しました。まるで、同年代のアーティストと話しているかのような柔軟な発想や感覚、しかも過去の自分の行動に誇りを持ちつつ、これから出会うであろう未来のご自身塩見さんやオーディエンスの事までも、時間軸は関係無く考える思考に大きく共感を覚えました。対話を続けるにあたって、僕は1日限りのイヴェントで、自分が毎年開催している音楽会『ミュージック・トゥデイ』の企画として開催したいとお伝えしました。もちろんタイトルの意味も塩見さんは承知しているだろうし、「この若者が何を言っているんだ!」と思われても仕方ない生意気さだとは感じながらの提案でした。そして、数日後、塩見さんから【Music Today on Fluxus 蓮沼執太 vs 塩見允枝子】はどうですか?というお返事が来た時に、さらにさらに自分の時間軸を越える想像力に驚きました。肯定な姿勢を押し進め続けると、未知な大きい扉も開くものなんだな、とこの時、思い知りました。

公演の内容については、上記にリンクした2つのレビューが非常にわかりやすく、シンプルに伝えてくれているので、ここでは省きます。これからは、音楽をパフォームした後の演奏の感想を書き続けていきます。

まず、当然のことですが、国立国際美術館の展示室は音楽を演奏する場所ではありませんでした。美術作品を展示するために設計された空間です。それでも、過去、僕は様々な場所で自分の音楽をインストールしてきました。今回も僕1人だけでなく、多くのスタッフの経験と知恵をお借りして、一番良い状態の音響構造をこの空間で出力しようと試みました。ここは吹き抜けの地下3階という構造です。どんどん音が上に伸びていき、飽和して、ぼやーとした音像がオーディエンスの耳に、体に、音が伝わります。

なので、まずは楽曲構成から芯を太くするように組み立てていきました。
どんなに具体的で楽器のアレンジを活かした楽曲をしても、この空間では抽象的な音像になってしまう。そこで思いついたのが、ヴォーカル中心のより高い具体性の曲をメインにしました。環ROYのラップ曲、木下美紗都のヴォーカル曲を大々的にフューチャーして、楽器の個性よりも、構造的にシンプルな(ここでいうシンプルはPOPS構造の楽曲)もので楽曲構成を組みました。それと同時に、グリッド感の少ない『Centers#1、#2、#3』を演奏することで、バランスを保ちつつ、現在のフィルの音楽性を出そうとしました。関西に数台しかないといわれる「FUNKTION-ONE」を導入して、よりアンプリファイした音像にしていきました。こちらは大成功。

このアンプリファイとシンメトリックな感じで、塩見さん作曲の4つのイヴェントが行われました。塩見さんのイヴェント群はアンプリファイとはほど遠く、とても日常の延長のような身体と近いスタンスで表現される演目でした。多くは僕がリーダーとして、会場のオーディエンスやフィル・メンバーを導いて、イヴェントのパフォームをしていきました。自分の作品を演奏するために編成したフィルのメンバーが塩見さんの作曲されたコンポジションをパフォーマンスしている姿は、個人的に新しい一面を観ることが出来、素直に、そして丁寧なパフォーマンスをしていたフィルメンバーに改めて感動しました。(普段は不満があると子供のようにブーブー言われるのですけどね。。。)

毎年、ミュージック・トゥデイの現場は自分にとって、常に宙を浮いている感覚に落ち入ります。アサヒのときも、ラフォーレのときも、そして今回も。イヴェントの中心であるし、出演もするっていうWパンチな状況でもある。それだけ自分の緊張感も高い1日であるし、終わったときの達成感の大きさも計れないくらいデカいし、同時に疲れもする。毎回、後味がすこぶる良く終わる大切なイヴェントでもある。こういう小さな感触の積み重ねがとても気持ちがよい。感謝の方向がオーディエンスをはじめ、スタッフやメンバー、そして自分にも向くほど、更新した心持ちになる。

例えば、短い時間軸や文脈から判断すると、なぜ僕と塩見さんが2013年の七夕にミュージック・トゥデイをやったの?っていう意見も出そうです。しかし、僕にとっては、より大きい時間軸で1つのイヴェントのために多様なアイデアを出し合い、仲間を集めて、イヴェントを共有した限られた時間の価値が、あの場にいた全員にとって、とても意味があるものになっていたと思います。

次は、来年は、どこで、ミュージック・トゥデイを開催できるだろうか?

30

Date

2013.09.12

2013年9月11日で僕も30歳になりました。

30という数がどういう意味を持っているのか、実際に僕にはわからないのですが、何となく日々の時間の更新で人の年齢が30という数を超えました、という気持ちです。それでも活動を始めて、30歳までには、あと1枚アルバムを完成させたい、というぼやぼやした目標を持っていて、それが先日の9月9日に蓮沼執太フィルのオリジナル・レコーディングアルバムのマスタリング作業が終わって、アルバムの音楽が完成しました。そのささやかな歓びを引きづりながら、11日の誕生日へと緩く感情が繋がっていきました。(アルバム完成までには、まだ道のりは長い。)

先輩からは「30を越えたら、いろんな事がどうでも良くなって、大胆に行動出来るよ!」や、「30代は面白くなるよ。身体が変わる、自身も身の回りも変化に富むよ。」など、多くの前向きなアドヴァイスを聞いたりもする。では、僕はどうなるんだろうか。確かに年を重ねるにつれて、前までは気にかかってしまっていた小さい事柄も、失敗したり、成功したり、色々な経験など積んだりして、あまり気にならなくなったりする。物事を肯定する力がちょっとだけ広くなったりしていると思えたりします。けど、こういうものって、やっぱり日々刻々と変化していることで、ある区切りがついて見つめ直すと「あー、そういうところ、変わったかもなぁ。」なんて、思ったりするもんです。

さて、30歳になる前に、やったことが無いことをしよう!という気持ちが出てきました。スカイダイビングやパラグライダーみたいな、今後自分がやるかどうかわからないようなチャレンジをしてみたいと、思ったりしました。それで思いついたのが断食。僕は無宗教で信仰も無い人間なので、自分の体の変化を楽しむ感じで断食をやってみました。トータルで1ヶ月間のプログラムで、2週間かけて食をだんだんと減らしていき、完全に食を断つのは1日のみ。その後は2週間かけて徐々にまた食を増やしていく、復食をしていきます。ちょうど9月5日と6日は渋谷WWWでライヴでした。5日は古川日出男さんと空間現代とのコラボレーション。6日は8月のツアーから引き続き□□□(クチロロ)のサポート、そして7日はグループ展『アラカワアフリカ4』のワークショップを兼ねた説明会でした。完全断食日が次の日、ちょうど9月8日でした。この数日間は午前中はみっちりヨガで運動をして、午後は普段通りに生活をしていました。この運動が今回の断食の特徴でした。その午後の「普段通り」というのが、ライヴ2つとワークショップという、何とも体力と知力を使いそうなことでした。更に、マスタリング直前の蓮沼フィルのミックス作業の大詰めでもあり、本当に何がなんだかわからないくらいの早いスピードでいろんな事が駆け巡っていきました。まず、食を少なくしていくことで、体の変化に敏感になります。よく「神経が研ぎ澄まされる!」と言ったような素敵な言葉が聞けたりしますが、僕の場合はそんなキラキラしたものでは無く、健康な体の状態で内側のちょっとした違いに気が付いたりします。例えを出すのもむつかしいのですが、よく風邪をひくと体がだるくなりますよね。それは体が不健康な状態での変化です。そうではなくて、健康な状態で自分の体が変化している、っていう事に気付けるのが凄い事だなあ、と感じました。いわゆる、ファスティングをしていたので、体の中にあるものも断食までに全部体の外に出します。これ自体は大変なことだと思うし、何となく体に悪い気がしなくもない。。。
まだまだ変化があります。次に、食を細くするにつれて、体が動き易くなりました。また朝の寝起きも普段より楽になりました。これは簡単で、毎日人は食べ物を食べるのに多くの体力を使って、口に運び、内蔵で消化していることがよくわかります。もちろん、これは僕が感じたプリミティヴな変化だから、個人差は当然あるはずです。もう1つ、断食と共にやったことがあります。それは人間ドック。ずっと挑戦してみたかったことを30歳前に出来ました。いま思うと、断食も人間ドックもどちらも自分の体に関すること。自分の体に興味があった証拠が天然な形で現われたなぁ、と思いました。時間の経過を心や記憶ではなくて、自分の身体でどの程度刻まれているのか?という問いを調べたり、変化を与えてあげることで、時間を試したかったんでしょうね。もちろん、結果は健康体でした。よかった。

変化といえば、TwitterとFacebookをやめました。脱SNSも健康によさそうですね。何と言うか、人と人とのコミュニケーションも、例えばフィルだったり、他ジャンルのアーティストとの共同作業だったり、日常生活の交流などで、どんどんとその交わり方が更新していくわけですけど、この2つのメディアだけは、何度やっても何度やっても、深いコミュニケーションまで繋がった気が、いつまで経ってもしなかったです。やっぱり単純に向いてないんだろうな。こういうページでちょっとだけ長い文章をつらつらと書いている方が自分には合う気がします。

最後に。本当にプライヴェートですが、この写真は誕生日会の終わった後です。30代へ!という区切りのよい日、平日という忙しい中でも友達が祝ってくれたことに大きな感謝がしたいです。どうもありがとうございました。