蓮沼執太 | Shuta Hasunuma

2/16 2021

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2021.02.16

魂が抜けたように、ふわふわとした感じで1日をすごした。でも、こうやって主体が自分の体ではなく、心ここにあらず、みたいな状態は嫌いではない。作業には気持ちが入らないんだけど、どこか普段とは違う窓が開いていく感じがする。

夕方はドラマの劇伴ミーティングをする。昨日にラフスケッチ音源を多数送ったので、そのニュアンスなどをお話ししたりした。このプロジェクトは制作していてとても楽しい。これはプロジェクトの刺激も当然あるが、それらを支える人々のパーソナリティとその行動がとても心地よく、そのぶん僕も良い音楽を作ろう、という素直な気持ちにさせてくれる。より良いものにしていきたい。

夜はJ-WAVEラジオにリモートで出演する。アッコゴリラさんがナビゲートされている番組で、お店のBGMがテーマだった。僕はBGM制作のプロではないんだけど、空間と時間、そしてその場に訪れる人、という関係性をあらゆるシーンで考えながら作品を作ってきているんだな、と思った。それが商業施設だとか、作品がインストールされた場所、というわけもなく、シンプルにそれらの関係性で変化していく状況を作曲していた、と感じた。今はもっと違うところに関心があるけれど、こうやってメディアにピックアップしていただくことで、自分の視野とは異なる部分に日の目があたることは少し面白い。他者の視点というのはユニークだな、って思う。番組で流れていたアッコゴリラさんの新曲もとてもよかった。ラップもいいし、トラックも良い。久々に芯が太い音だ、と思いました。

2/15 2021

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2021.02.15

久しぶりの雨。そんな豪雨の中でも、楽しい会話をしてリラックスした日中をすごす。色々なことを対話することでスッキリする。何か新しいことがはじまりそうだし、さらに良くなっていく気持ちがする。集中して作業が進んだ1日だった。冬の雨なのだが、どこか春っぽい空気を感じた。季節が動いている感じがした日だった。お昼に食べたファラフェルが美味しかった。

2/14 2021

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2021.02.14

朝に1曲だけ手直しをした。その後に散歩をして、公園に行って気分転換。おそばを食べに行って、また長い散歩をしていたら、もう夕方前になっていた。こんな日もあるよね的な日だ。終日制作にスケジュールを空けていても、こうやってなだらかに時がすぎていくこともある。読書などを進める。アイデアをまとめなくてはいけなくて、断片的な思考をかき集めて固めていく作業。それらも相手に送ったりして、夜はまた外に出たりした。街には紙袋を持った人を多く見かけた。

2/13 2021

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2021.02.13

晴天の土曜日午前中。今年の3/11に行うプロジェクトについて、アイデアをずっと絞っていた。とりあえず、この2週間ほどずっと考えて抜いてきたことを記述して、なんとかまとめ上げた。まだまだラフスケッチのアイデアではある。色々と考えすぎてしまっている気がする。午後にスタッフとミーティングをして、来週から本格的に動き出しそうな気配。ただ、関わっている人が多くて、自分のペースでプロジェクトが動かせるのか、少し心配ではある。東日本大震災から10年が経つ現在は、さらに混迷を極めている状況が続いている。

お昼は池袋にある劇場あうるすぽっとにて、チェルフィッチュ『消しゴム山』を観にいった。昨晩に公演に誘ってもらって、急に行くことを決めた。良いタイミングで誘ってくれて嬉しい。おととしの蓮沼フィル野音公演『日比谷、時が奏でる』の時に、チェルフィッチュの岡田利規さんが遊びにきてくれていた。東京にきていて、まさにこの時にこの作品のクリエーションをしていたそう。(野音ゴールド・ディスクの岡田さんの寄稿文に記載されています)

公演は退屈なほど、通常の演劇とは異なる時間軸で進んでいく。余白が多いぶん、こちらも観ながら思考が膨らんでいってしまう。例えば、グレアム・ハーマンからのオブジェクト指向存在論、人新世、ティモシー・モートンの環境哲学などが当然よぎってきた。そこで思い出したのはハーマンの言葉。グレアム・ハーマンはこう言う。「OOO(オブジェクト指向存在論)が擁護する考え方にしたがえば、対象(実在的対象、虚構的対象、自然的対象、人工的対象、人間、非人間)は相互に自立的であって、前提されるのではなくむしろ説明が必要な特殊事例においてのみ関係する。この点を専門的な表現で強調して言えば、あらゆる対象は相互に退隠している。」

さらに思い出したのが、エドワード・タイラーが『原始文化』でアミニズムへの言及の際に「宗教の最小限の定義を「諸々の霊的存在への信念」とした上で、人類の精神の深層に横たわる、諸々の霊的存在についての教理をアミニズムと名付けて考察する。」と言っていた。

この2つを思い出しながら、2時間半弱の時間をかけて観ていた。オブジェクト指向存在論を主題に扱う現代の作品に対して、僕はどうしても斜めに構えてしまう癖があって、その数多くの作品を観ていても、ナイーヴなものが多すぎて中々真髄に辿りつけないものが多い。特にティモシー・モートンの思想を現前させたような作品にいたっては、その作品の主体性が人間にあることが多く、分散的にあるアイデアの要素を寄せ集めてひとつにしたニュアンスを感じる。それも主題がホットなトピックということでもあるが、実はいつまでこのような消費的な作品を続けていくのかな?という疑問も生まれるのは正直な思いでもある。今ある危機の本質をアートで表すこと自体は肯定したいが、地球は一つしかなくて全てはつながっている、という認識が薄い。作品がプレゼンテーションされてしまう既存の制度とシステムを疑う姿勢が必要になってくる。結局は外部の要素を摂取しているに過ぎない。

その中でもこの『消しゴム山』は強度があって、鋭い刀を持っている作品だと感じた。モートン的な環境思想を受け入れるだけではなく、岡田さんの思考と身体がパフォーマンス化された作品になっていた。観ていて面白かった。僕が嬉しかったのは、直接的な言葉で気候危機を訴えていたこともある。演劇の強みはやっぱり言葉と身体だと再認識した。社会へのアイロニーも日本ならではの形を作っていて、あらゆる要素と要素の「間」の取り方が絶妙だった。これはずっとチェルフィッチュを観てきてから変わらないことだけど、変わりながら変わっていないことの凄さも感じた。金氏さんの美術の効果もあるかもしれないが、本質は岡田さんの関心されている事柄と問題意識が大いに注入されたハードコアな演劇作品になっていた。

これを書いているときに、福島で震度6強の地震が起こった。東京オリンピックに関する政治的な混乱で数週間社会を振り回していながらも、自然は活きいきと動いているわけでもある。そんな中、10年前の震災から僕は、社会は何を学んでいるのかを真剣に考えて、行動するべきだ。

ミルフォード・グレイヴスもチック・コリアも亡くなってしまった。時間は経過していくものだと感じる。
楽しいことと不安なことが入り混じっているような日だけども、スカッとする作品を観れてとても嬉しい日だった。

2/12 2021

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2021.02.12

2019年10月に資生堂ギャラリーで開催された展覧会『Surface and Custom 展』のカタログを読んだ。アーティストのジェイ・チュン&キュウ・タケキ・マエダによるキュレーションの展覧会。インスタレーション・ビューの写真は少なく、論考とアーティストトークの実録が大半を占める読みものでもある。とても面白かった。ガブリエレ・シャードの寄稿も鋭く、文脈豊かに文が編まれていた。

カタログの文頭に、単純化された「物語」や「神話」が世界にシェアされる現代において、その背景に目を向けて同時に存在する複雑さに気付き、寛容していくことが試される、と資生堂ギャラリーの豊田さんがカタログで書かれていた。深く同意する。

資生堂という企業が行うギャラリーで、このような展覧会を開催して、カタログとしての記録が作られる。常々変化していく社会に対して、僕たちは新しい想像をしていかなくてはいけない。そういうきっかけを提案し続けていくことに感謝したい。

2/11 2021

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2021.02.11

朝からドラマ音楽の作業。この1週間は細かい部分を丁寧に修正していく作業の連続。煮詰まってはきているけど、トータルで聴けるくらいの感じに仕上がってきた。今日は出かけをして、たくさんの会話をした。風通しの良い対話は心地よい。

ナディッフの芦野公昭さんの訃報。ぼくは中学生の時、表参道のナディッフにずっと通っていた。よくわからないアートブックや文献を片っ端からチェックしていた。大学に入ってからアルバイトをさせてもらい、これらの経験はいまも自分の中で活きている。ありがとうございました。

2/10 2021

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2021.02.10

フランス在住のサウンド・アーティストのFélicia Atkinson、フィリピン在住のMarika Constantinoと連絡をとっている。Félicia は Shelter Press というレーベルもやりつつも自身がアーティストであり、素晴らしいアルバムも数多くリリースしている。Marika はキュレーター、リサーチャーでもあるアーティスト。2人ともコロナのパンデミック以降にコンタクトをしつつ、「サウンド」について意見をもらったりしている。普段は意識もしないが、今いる場所ではない音を聴いてみたい、想像したい。という気持ちが強くなってきている。

今日はフランスのアーティスト・Ghédalia Tazartèsの訃報があった。夜はゆっくり彼の音楽を聴こうと思う。深夜に合いそう。

写真はアーサー・ラッセル。

2/9 2021

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2021.02.09

有馬純寿さん、川崎弘二さんが編者の『日本のライブ・エレクトロニクス音楽』を読む。一柳慧さんが具体音、電子音、通常楽器の演奏などがそれぞれ独立した分野にあり、公共的性格を持っていたため、特別なものであったけど、それが今では限定的で窮屈な場所から解放され、誰もが用いられるような創造の場が生まれたと述べている。現在では自由な場がある。

ふと自分のことにしてしまうと、街の一室からアイデアや考えを巡らして、音の回路やプログラミングを書いて音を作り出すことはある意味で自由さが在る行為だと実感する。

写真は Whitney Museum。

2/8 2021

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2021.02.08

いままで編曲に加えたことがない楽器の勉強をしている。いま行っているプロジェクトを入口にして、もっと多く音楽で一緒に出来れば良いなと思っている。よりアイデアが広がるようなクリエーションにしていきたい。

今週はずっと籠もって作曲作業。昨日からの続きでもあって、全曲のラフは形になってきていて、いま2周目に入っている。この「2周」というのは、とりあえず粗くても良いので全曲を作って、全体の楽曲の空気を作り上げていく方法で作っている。なので、さらに細かい作業をこの2周目で行っていく。昨日から実質2周目に入っていて、僕的には欠けている部分や厚すぎる部分のプラス、マイナスの状態はだいぶ良い。楽しく作れている。今週はこれの繰り返しだ。

2/7 2021

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2021.02.07

午前中は毎シーズン音楽を手掛けているファッションブランドのコレクション映像の音を作る。弦を振るわせて持続音にして、それを不規則に重ねていく。映像を観ていて、そのアイデアが浮かんで試してみた。これは自分のソロアルバムでも通用するコンセプトに感じた。昼は散歩をしてきた。公園に行ったら人出が多かった。ソフトなロックダウンが1ヶ月も続けば、冬晴れの日くらい、日光浴したいよな、と思った。

ユザーンから電話がきて小話。笑った。

そのあとは夜までずっとドラマの音楽制作を。Roland TR-808などを引っ張り出してリズムを組んだりした。僕はヤオヤはパラで出力するよりも、全体出力の音の方が好きである。今日からは、より細かく深いアレンジをしていく作業が中心。

妹からもらった沖縄のハーブティが気に入っている。基本沖縄産でレモングラス、月桃葉、セッコツソウ、有機ハイビスカス、グァバ葉、ノニ葉、アップルミントがミックスされている。