Shuta Hasunuma Philharmonic Orchestra talks about『symphil』part3

それぞれの日常で起きた『回復』と『共在』をめぐって

アンサンブルから浮かび上がる1/15の音色
編集・インタビュー
金子厚武

蓮沼執太フィル5年ぶりのニューアルバム『synphil | シンフィル』のコンセプトについて、蓮沼は「回復」と「共在」という言葉を挙げている。「自分自身を大切にすること。そして、他者や自分以外の世界を肯定して共に生きること」。全員インタビューの最終回では、この5年間の中でメンバーそれぞれの日常で起きた「回復」と「共在」のエピソードを紹介する。

蓮沼

人と共有しちゃいけない、人と繋がっちゃいけない。ウィルスによってそうなってしまったことが徐々に解かれていく状態を「回復」と呼んでいます。コロナ以前 / 以後で変化した!と言えるような大きいことは正直無いのですね。それでも、コロナ禍で基本個人になって、ちょっと時間が経って人に会うと、ものすごく傷付いてる人やとんでもなく落ち込んでる人が自分の近い範囲でいる。そういったことと、自分がやってるような身近な人の繋がりとしての「アンサンブル」が徐々に連帯を取り戻して、再起動していく流れが「回復」的なものかなって。あと近年は誰かのために曲を書くことが多くて、自分の活動に焦点を当てられてなかったんですけど、バイオリズムとか活動の流れを加味して、やっと復活してきた感じがするので、そういう意味合いもありますね。

斉藤

「回復」というほど食らってないかもしれないです。淡々と、全部受け流すことを無意識にやってた可能性が高い。もちろん、世の中の動きとか、人と人との関わり方とか、めちゃめちゃ変わったとは思うんですけど、それはそれというか、また戻るかもしれないし、戻らなくてもそれはそれだし。結構距離を置いて過ごしていた気がして、そこまで食らってない気がします。

手島

私はこの数年で楽になった感じがする。

宮地

私も無理しなくなった気がする。私フィルのリハと本番をやると毎回2〜3キロ痩せてたんです。でも最近痩せなくなっちゃった(笑)。

千葉

今後の人生とか自分の生き方について考えることは増えました。それが「回復」とか「共在」なのかはわからないですけど。

大谷

死んだり死なれたりすることに対する感覚がこの1〜2年でちょっと変わった気がするけど、それは「回復」とか「共在」という言葉では語れない。キーワードで考えるタイプではないので。前作から5年の間であったことを思い出してみると、いろんな回復がまだできてない状態なのかもしれない。でも表面上はあんまり変わってなくて、ちゃんといい感じになってるんじゃないかな。

イトケン

俺2020年に両足の踵を骨折して、このままドラムが叩けなくなるんじゃないかと思ったけど、なんとかリハビリをして。普通骨折は片足だから、すぐ退院させられちゃうらしいんですけど、俺両足だから動けなくて、結構病院でリハビリをさせてもらえて。筋トレしなくちゃいけないから、「これツインペダルの練習にちょうどいいかも」と思って、ツインペダルを買って練習して、バランスはよくなった気がします。

音無

僕はもともとバンドとか電子音楽をやってて、そこに雅楽を取り入れたらどうなるんだろうと思って笙を始めて、でも昔やってた音楽に近いところに一周して戻ってきて、それが蓮沼フィルとして花開いて……青春の回復ですね。

それぞれの日常で起きた『回復』と『共在』をめぐって

ウィルスによるダメージ、メンタルの不調から物理的な怪我まで、それぞれの生活から立ち上がる「回復」のエピソードの多彩さや距離感の違いも、やはり蓮沼フィルらしい。そして、「共在」は蓮沼フィル自体のあり方を表す言葉であり、社会への提案であるとも言える。どこか安っぽいラベルになってしまった感も否めない「共生」ではなく、「共在」という言葉を蓮沼が使うことの必然性が、メンバーそれぞれの発言からも確かに感じられるはずだ。

蓮沼

東京パラリンピック2020の開会式以降、障がい者の施設や子どもたちのワークショップに行く機会が増えて、そこに理念として「共生」と書かれていることが多いんですね。それ自体はとてもいい言葉だと思うんですけど、もう少し「存在を認める」という幅があってもいいのかなって。「共に生きよう」という設定はちょっとだけ強引さを感じたりもしました。単純に「生きてるだけで『共』じゃん」みたいな感覚もあるし、「共生」は人間主体の発信過ぎる気がします。だから「共在」。コミュニケーション論をフィルで実践しているわけではないですが、平田オリザさんの『わかりあえないことから』やドミニク・チェンの『未来をつくる言葉』などの書籍は示唆的であり、フィルをやってると他者との繋がりについて現実問題としてすごく考えるんですけど、やっぱり「一緒にやろうぜ」という気持ちじゃないんですよね。楽譜は僕が作るけど、それぞれが自由にやってくれ〜ということがベースにあって、その状態も僕が言っている「共在」状態に近いんです。

石塚

僕は去年から喫茶店の経営を始めたんです。「和して同ぜず」という言葉があって、みんなマスクやワクチンに対する考え方は違うんだけど、それぞれの価値観の違いを認め合いつつ一緒にいることが、すごくハッピーだなと実感することが増えました。

葛西

フィルのメンバーが集まるのはすごいなといつも思います。普通のバンドは同じコミュニティに属してる人たちで始まると思うけど、フィルは普段属してるコミュニティがバラバラな人たちが集まってるわけで。でも作業を進めると、みんな少しずつ変化してるのを感じる瞬間があって、今回特にそれをしみじみ感じました。みんな変化があって、より独自になってて、全然混ざらない(笑)。でもそこでバランスを取ろうとしても面白くないから、極端に振りつつ、でも筋を通すにはどうすればいいかを考えて、結果的にはちゃんと「共在」してるんじゃないかな。

ゴンドウ

これまでいろんなバンドに在籍してきて、いつの間にか呼ばれなくなったりもあるけど、フィルはこの人数で10年以上やってて。悪く言うとぬるま湯的な居心地のよさがあるんだけど、でもどんどん大きくなって、しぼんでいく感じはしないんですよね。

尾嶋

蓮沼フィルには蓮沼フィルでしかミュージシャンとして存在してない人はいなくて、みんなそれぞれ活動していて、このバンドがなくなったからといって音楽をやめちゃう人は一人もいなくて。それぞれが独立した微生物で、でもそれが集まってる。一人でもいれるし束でもいれる、それが「共在」なんじゃないですかね。「共生」だと「ポジティブに捉えなきゃいけない」みたいなイメージだけど、「共在」は事実確認だから、いいも悪いもないし、可でも不可でもない。そういう集まりっていうのは、とても居心地がいいと思います。

K-Ta

一人で部屋にいて、誰とも連絡を取らなかったら、そこには自分しかいないわけだけど、でも同じ時間に他の場所にいる誰かのことを思えば、それは「共在」だなって。そういう繋がり方を考えると、音楽との接し方も少し変わって、それが音にも出てると思います。

小林

「共存」は一瞬自分のテーマにしたことがあって。別軸の自分がいるとして、その自分と一緒に生きる、その自分を肯定してあげる、そういうことを一時期考えてました。今は移住をして、周りに自然があって、東京にいた頃とは時間の感覚が全然違って、自分の世界に没頭もできるけど、でも外には人がいて、そことの関わりの難しさも楽しさも感じてて。みんなそういうギュッとした時間とワッとした時間を繰り返して、そのバランスを取りながら生きてて、このアルバムもそういうアルバムなんじゃないでしょうか。いつも最高なんてことはないってことを、蓮沼フィルは音にしてますよね。すごく独特だと思います。

三浦

今って同じタグがついてる人じゃないと一緒にいられない環境の人が増えてる気がして。だから、自分と同じような人のことはわかるけど、自分と違う人がいることを想像しにくくなってる。フィルにはいろんな人がいるから、意外と難しいことをやってると思います。フィルに来ると、「こんな考え方なんだ」ってハッとすることもあるけど、その人のことを知ってるから許せたりする。知るに至るまでには時間がかかるけど、そういうことを普通の生活の中でもみんながしていけたらいいですよね。昔は「こんなに合わない人たちと続くのかな?」と思ってたけど、意外と長く続いてるし。同じ思考とか思想だとみんなが「よりよくする」を目指しちゃって、どんどん尖っていっちゃうけど、誰も正解がわからずにやってるから、まずは自分のことをやるしかない。でもそれがいいんだと思います。

「自分の存在、他者の存在を認め合うこと」をコンセプトとした「GPS」に始まり、楽器と声と電子音の響きによる多彩なアンサンブルが各曲で奏でられ、〈こだまする日々の暮らし みんなで話をしよう〉と歌われるラストナンバー「Eco Echo」で締め括られる『symphil | シンフィル』。あなたの日常におけるこの5年での「回復」と「共在」に思いを馳せながら、ぜひじっくりと楽しんでほしい。